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たしかにそれは偶然の連続であるけれども、それを全体として見るならば、そこに何らかの傾向と方向性が認められるのである。その歴史に特有の秩序と規則性が見られるのである。 なぜなら、それが、人間が歴史に求めるものだからである。そして、もしも歴史にそれがないとするならば、それ自体が、歴史という考えが成り立たなくなるからである。 そのように見えてもくるし、見ようともするし、そして実際に歴史というのが、そのようなものとしてしか、とらえられないのである。また、そうして初めて、時間というのが歴史として捉(とら)えることが出来るし、時間そのものの概念が成り立つのである。 そうである以上、やはりそれは、歴史や現実の出来事といったものは、だれかの絶対的な意志の表れと思えて来るし、またそのように感じられてもくるのである。 |
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