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12、存在の疑惑。


いまの自分たちに出来ないこと、無いもの、欠けているものがそこにあるのだということである。そしてまた、それなくして自分で自分を変革して行くことが不可能なのである。そうした自分の中にある潜在的な可能性のことを言っているのである。

そうした意味で発想の転換と切り替えが必要なのである、というのは誤解である。それは単なる発想のレベルではなくて、自分の存在そのものが問われているのである。

自分が生きている生き方や、自分が生きてきた記憶の世界が問われているのである。いまを生きている自分のライフスタイルや習慣や常識、そしてそうした日常の全体が問われているのである。

自己の非日常と非現実の世界に、現実に無いものを見ているのである。現実の自分が存在しないところに自分を見ているのである。自分ではない自分を見ているのである。もう一人の他人のような自分を見ているのである。



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