index< 日誌 < aj情緒 < 21-35「情緒A:自己目的」 |
しかしまた、それが、自分でも意識されることのない、得体の知れない、自分自身の肉体の感覚である以上、それは主観的にならざるを得ない。 情緒はある場合には、他人との関係で沸(わ)きあがり感じられてもくるが、――実は、そうでない場合の方が多いのであるが――しかし、それが自分でも何のことなのか、はっきりと理解も意識も出来ない。 なぜ、そう感じられてくるのか、自分でもよく分からないのである。だからまた、理性的でも論理的でもなく、感情的・情緒になるのである。 |
index< 日誌 < aj情緒 < 21-35「情緒A:自己目的」