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人間が何かを感じるというとき、それは二通りの感じ方がある。一つは自分自身に対してであり、もう一つは、自分の外の世界に対してである。そして何かを感じるということ自体が、自分の中と、外の世界に現れる。外の世界が自分の中で反射して映し出されているのである。 しかしまた、だからこそ、「感じる」ということが出来るのである。自分の精神というのが、外の世界に反応して、自分の中で映し出されているのである。自分というのが、他人とは異なる存在であり、異なる別の理由と自律性の下に生きている、ということなのである。 そうであるにもかかわらず、何かを「感じて」いるし、「感じる」ことができるというのは、このような理由や自律性といったものが、人間にとってみれば、結局のところ、すべて共通のところから生まれ出てきたものであることを示唆している。 まただからこそ、だれもが他人であるにもかかわらず、互いに感じ合えるし、知り得るし、理解もできるし、共有することもできるのである。 |
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