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このような客観性というのは、もともと主観から始まっている。種々様々な主観があちらこちらから寄り集まってきて、堆積し、一般化されて、より客観的なものになってゆくのである。 だからまた、主観や思い込みや偏見を絶対視してはならないのである。そこから出て行って、自分の外からも見なければならないのである。他の主観も知らなければならないのである。自分とは別の世界も知らなければならないのである。 自分たちの壁を越えて、枠を越えて、境界線を越えて自分を見つめ直し、作り変えて行かねばならないのである。そうして、より客観的で普遍的なものになって行く。時代と現実を越えた永遠のものになってゆくのである。 それは、感情や個人的な意思などが入ってきてはならない世界なのである。だからまた、それが公平なのであり、客観的でもあり、普遍的な強制力にもなっているのである。 |
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