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人間はいつでも、それが何かとわからないまま追い立てられ、せっつかれ、そしてまたそうやって自分で自分を営み続けている。ワケもわからないままで驚いたり、ためらい戸惑ったり、おののいたり、あるいは何かワケもないのに煩(わず)わしく、けだるくて何もかもが嫌(いや)になったりもする。 しかしそれは、同時に、そうやって自分で自分を見ているのである。そうやって自分を確かめ、そしてそうした自分に納得しているのである。そうやって自分を知り、そして自分を営み続けているのである。 そうしたことがなくなれば、自分で自分が分からなくなる。そうした自分の中にある動きといったものを知ることによって、自分で自分を意識しているのである。また、それを意識することが出来るのである。 |
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