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それは未知であり、既存の観念では表現し得ないものなのであり、従ってまた、意味不明な暗示や象徴とならざるを得ず、何かしらの目印しや「たとえ」でしかないのである。 だからまた、それらを関連づけ、自分でも納得のいくような思考として整理して行こうとするのである。自分の中にある何か不明なものを、そうして整理して行かざるを得ないのである。そうやって、何かしらの自分にとっての意味といったものを、作り出しているのである。 そして、このような関連づけの形式として、類似(共通性)、対比(比較)、接近(時間的・空間的なもの)などが上げられる。また、このような関連づけには方向性があり、成立時と同じ方向の順系列連合、逆方向の逆系列連合、またそのどちらでもない偶発的な異方向への連合もある。そしてこれらはすべて、偶然の錯覚から始まっている。 また、これら系列内部の要素間、そしてそれらを含めたケイレツ相互間の、時間的・空間的共通点などを基に分けると、隣接連合、同時連合として区分される。あるいはまた、それが間接的に連鎖する場合を間接連合、直接に連動する場合を直接連合として区別している。 |
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