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たとえば、機嫌の良い時の、おだやかでゆったりした血液の流れや、そしてそれを誘い、導いている血管と筋肉の、たるんで緩んで延びた状態がそうである。ときめいたり、舞い上がったり、あるいはまた、恐れおののいたりするときの、心臓の鼓動や、呼吸の動きもそうである。 自分の中で身体が、自分でも気づかないままで変化し、揺り動かされているのである。このような末梢神経や生理の作用のリズムのアンサンブルとして、情緒の世界が作り出されているのである。たとえそれが見えにくく、わかりにくいものであったとしても、そうなのである。 しかしまた、このような現実の見えるカタチでの変化なしには、情緒の変化も、そしてまた精神の状態も、その移り変わりといったものも存在しないのである。すなわち、カタチなき精神といったものはなく、精神は、現実のカタチを通してのみ、私たちに見えてもくるし、理解もされ、知られてもくるのである。 それは何らかのカタチを通してのみ、その姿を現してくるのである。それは例えば私たちが、映画や絵画、音楽や小説を通して何か言い知れぬ感動を覚えたりするのもそうだし、あるいはまた、真っ暗な闇の中に何か本能的な不安や恐れを感じたりするのも、そうなのである。 |
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