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3、未知。


本来、精神に現実のすがたなどあるはずもなく、またそれゆえに、現実の目に見えるもの、現実にあるものを通してのみ、それを現わし、表現し、そしてまた、そうせざるを得ないのである。精神はそうしてのみ、私たち人間に気づかれる存在になるのである。

しかしそれは逆に言うと、無限の姿なき精神は、現実にある何かしらのカタチを持ってしか表現し得ないということを意味している。精神が無限であるとしても、現実は限りあるものなのであって、そのすがたカタチといったものは、人間がそれと知り得る、限りあるものとしてしか表現され得ないのである。

だからまた、未知で得体の知れない正体不明のものとしてしか現れて来ない、といったことが起こるのである。オバケや幻覚や錯覚や、誇大に拡張された感覚の変質的な傾向なども、そうなのである。感覚といったものが、そうした方向だけに異常に特化して敏感になっているのである。そして、それだけが自分に強く感じられてくるのである。



戻る。                   続く。


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