index< 日誌 < ap理由 < 21-53「相似と相同2:カタチ」 |
現実の世界というのは、限りがあるものである。それは、人間がかかわり合う世界というのが限られているからである。それは、人間にとって必要なものであり、必要なものだけなのであり、それ以外のことは知り得ず、知ることもできず、知る方法もなく、しかしまた、人間にとってみれば、それで十分なのである。 人間というのは、このような限られた、そして制約された条件の下でしか生きて行けないのである。それは、それを許す環境と、そしてその歴史的な積み重ねの結果として存在しているし、存在することが出来るのである。身体的にも、そして社会的・文化的にもそうなのである。 しかし、人間の精神は、そしてまたその可能性といったものは、限りないものであって、――また、だからこそ人間だと言えるののであるが――常に自分で自分を省みてもいるのであって、また、そうした自分の生き方といったものも、変化し続けているのである。自分で自分を省みると共に、自分で自分を反省し変えても行くのである。 |
index< 日誌 < ap理由 < 21-53「相似と相同2:カタチ」