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夢の中で見るイメージや印象自体が、このような生理的で自律した感覚の営みの結果なのであり、営みそのものなのである。だからまた、夢や無意識の世界での連想といったものは、自分の中でそれを思い起こさせる、動機や刺激を必要としていて、またそうした場面で、連想や錯覚が呼び起こされてくるのである。 そしてまた、それはそれで、それへと向かおうとする自分の中の情緒的で生理的な傾向を示している。それは自分自身の動作やポーズ、仕草や言葉に現れている。 そしてそれ以前に、身体内部からの動機や息切れ、めまいや赤面などにも現れている。それが自分自身にも意識されてきて、そしてそれが感情となって自分自身の身体表面の表情や仕草となって現れているのである。 そうして自分で自分を感じると共に、自分の中で、自分と対話しているのである。そして自分を発見しているのである。これは必要なことであって、そうして自分を意識し、自分に納得し、自分を確かめているのである。自分が自分であり続けようとしているのである。 |
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