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3、アイデンティティーの喪失。


だから、どのようにマネたところで、同じ者にはならないのである。それが限りなく似せたとしても、それは別のものなのである。そもそも「似せる」という言葉自体が、そうした意味で使われているのである。それは、自分が自分でなくなるとともに、自分が似せる相手にも成り得ないということを意味しているのである。だから、どこまで行ってもニセモノとして見なされるのである。

そしてまたそれは、自分自身の放棄と喪失を意味していて、自分が自分で無くなるとともに、それどころか、自分という存在そのものを失うことになるのである。だからまた、それはどうしても許せないことでもあるし、カンベンも出来ないことなのである。

自分たちの祖先のタマシイが辱められ貶められたように思えてきて、憎しみと敵意で耐えられなくなるのである。これは自己のアイデンティティーの喪失なのであって、どんなことがあっても、どんなことをしてでも、それは守り通さなければならないことなのである。



戻る。                    続く。


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