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交感D。


触れて、感じて、心が通じ合うこと。この触れて感じるというのは現実的で物理的である。しかし、心理的で内面的な見えざる世界というのがあって、自己の身体内部の内的なシステム、ないし原理といったものが働いている。

この原理というのは内的な必然性のことである。それは情緒的であって、あるいはまた、身体内部の自律神経による作用でもあって、これが身体の表面やその動きに現れているのである。このような自意識の内的な原理、身体内部の必然性でもって相手を感じ取っているのである。「心が通じ合う」というのは、このことなのである。

そしてこのような原理や必然性といったものが、「種」という同一の土台にの上にあって、これをもって相手の心の中を感じているのである。感じることが出来るのである。感じなければならないように出来ているのである。そしてこれが、種という同一性の根拠になっているのである。

これはコトバの起源についても言える。コトバ以前の、自分自身の身体内部の同一性がそれを求め、要求し、そして必要としたのである。他者の中に居る自分という意識を求めたのである。世間に対する自己の体裁というのが、それを求めたのである。

また、自分の身体の動きや呼吸、舌とクチの機能がそれを求め、必要としたのである。それを表現するには、さしあたり、舌とクチ以外になかったのである。



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