index< 日誌 < aqまやかし < 21-85「性善説と性悪説」 |
哲学で言う「性善説と性悪説」は誤解である。私たちが生きている現実の世界では、性善も性悪も同時に起こっている。同じ出来事が見る位置や立場、その目的や動機によって善にも悪にもなっているのである。 様々な人間の、見かた・感じ方・考え方の違いが、同じ出来事に対してまったく違った意味と結果をもたらしているのである。だから、一律に何もかもが性善と性悪で決めつけることが出来ないのである。 それは、決めることが出来るものでも、決められるものでもない、そうした世界なのである。だから世の中を善い方ばかりに決められないし、また同じように、悪い方ばかりにも決められないのである。決めつけること自体が無意味なことなのである。 要は、大事なことは性悪にならないための環境を、常に保持できるように努めなければならない、ということなのである。目的や方向性、枠組みや仕組みのシステムといったものを、しっかりと理解していなければならない、ということなのである。 |
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