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摸倣とは、自分が何かであろうとしているのであって、それは自分自身の表現の場なのである。あるいは、そうしたイメージでもって自分を現わそうとしているのである。そうして自分が自分であろうとしているのである。 自分というのは、何らかのイメージやカタチにならなければ認められないし、認めることも出来ないし、見えることも、知ることも出来ないからである。見えてこそそれが何かというのが知られてくるからである。 しかしまた、この見える前の段階。もやもやした曖昧で漠然とした世界。これが情緒的で意味不明な感覚や感性の世界なのである。無意識の潜在的な可能性の世界なのである。 そしてこれを開いて見せてくれるのが未知との遭遇であり、それを何かしらの自分が知っているものと結びつけて理解しようとするのである。そうするしかないのである。それ以外の理解する方法を人間は持たないのである。 |
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