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たとえば、光がもたらす色の世界がそうである。人間は、自分の目の中で3色(赤・青・緑)合成された色の世界を見ているのであって、それ以外の色を直接に感じることは、ほとんどないのである。 また、視覚以外の聴覚や嗅覚、触覚などが、それが感じとることの出来る範囲や深度についても、やはり同じなのである。直接にではなく、自分の感覚器官を通して感じ取っているのである。 人間には、自分たちにとって必要なものしか感じとることが出来ないように、あらかじめ出来ているのである。そのようにしか設計されていないし、遺伝もまたそのようにしか伝えられないのである。従って人間というのは、このようなきわめて制限され、条件づけられた世界しか知り得ないのである。 もちろん、そうでない者もいるのであるが、これは不確定要素でもあって、無限の可能性の源泉ともなっているのである。そして、このような逸(はぐ)れたよそ者は、許されることがないのである。 災いと諍(いさか)い、やっかいのタネでしかないのである。しかしまた、それが許されないからこそ、自発的であり、自律的なのであって、進歩と創造、そして自由の主体となっているのである。 |
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