index< 日誌 < ax背景< 22-55「何も出来ない」p3 |
自分で自分の壁(かべ)を出なければならない。外の世界から自分を見なければならない。そうやって始めて現実の自分というのが見えてくるのである。 自分にとっての現実とは、ただたんに自分にとっての限界なのであって、条件や制約なのであって、むしろ、サダメやオキテのようなものである。何でもできるというよりも、なにも出来ないというのが、現実の自分のすがたなのである。 しかしまた、だからこそ、これが現実の世界なのであり、自分自身の本当のすがたなのである。なぜなら、制約や条件といったものは、自分にとっての他人なのであって、他人とのかかわりの中で自分が見えてくるからである。 また、このようなかかわりの中でこそ、それが現実であると言えるのである。だから、外へ出なければならない。現実の中で自分を感じ、自分を知り、自分を確かめなければならない。 制約とは現実であり、そしてそれは自分にとって他人のことである。そしてここに、自分と他人が区別され、意識されているのである。現実というのが、自分に対して対立するものとして現れてきて、そして嫌が上にも自分というのを意識させているのである。 |
index< 日誌 < ax背景< 22-55「何も出来ない」p3