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11、ケジメとシツケ。


それは、何らかの意思表示を自分と相手に示す必要があったのである。そうやって気持ちを切り替えて、何らかのケジメと区切りをつけようとしているのである。これは必要なことであって、事実、もっと大きなイベントでも同じことが言えるのであって、たとえば儀式や儀礼などがそうなのである。その形式に特に意味などなく、要は、そうした何らかのケジメと気持ちの区切りが必要だったのである。

こうしたことは文明上の歴史においても、たびたび見られる。ユダヤ人や少数民族・マイノリティーに対する迫害がそうである。「理由」などはどうでもよい関係のないことであって、ただ単に不満や憤(いきどお)り、ストレスの発散場所がどうしても必要だったのである。

そうやって、自分は最底辺ではないという証明をしているのである。自分を再確認しているのである。自分の存在の危機から逃れ出ようとしているのである。そうやって自分確かめ、いままで通りの自分であり続けようとしてきたのである。


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