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仕方のない事情。


自分がなぜそうなるのか、いったい何のためにそうしているのか、自分でもわからないのである。ただ、いままでそうしてきたし、それ以外の仕方というのを自分でも知らないのである。また、知らされてもいないのである。そして、それ以外の生き方というのを知りようがないのである。

だからまた、そうして自分に納得するしかないのである。それが自分なのだと思い込む以外にないのである。ただし、それがホントの自分なのかどうかは、自分でも分からないのである。ただ自分というのをそうやって確かめる以外に、他の方法を知らないのである。あるいは、知る方法がないという、実に致し方のない事情から、そうせざるを得ないということなのである。

しかしまた、そうしたことが村や共同体、交易や都市の成立と深く関係しているように思えるのである。国家や民族についてもそうである。一人のままでいると、自分がだれなのか分からなくなる。だから社会が必要なのであって、家族がそうであるし、村や都市がそうなのである。

そうして躾(しつけ)や、仕草と作法、習性といったものが身に付けられ、学習され、自分のものとなって行く。ルールとマナーがそうである。そうして人間が人間として、人間化して行くのである。


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