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6、営み。


しかしもちろん、そうした感覚や気分や気持ちといったものが、自分でも何のことことなのか、なぜそうなるのか分からずに、もどかしくなったりするのである。なぜなら、それは気分なのであって心情ではないからである。何かはっきりした理由や原因といったものが、自分でも見つからないからそうなるのである。

情緒といったものは、生理的で感覚的なものであって、心理的なものではないからである。だから、いつまでたってもなぜそうした気分になるのか、自分でも分からないことが多いのである。それは原因と結果などといったハッキリした因果関係がなく、ただ気分的にそうなのである。

それはもっと原始的な本能や衝動、第六感や感性の特殊性とでもいったものなのである。それは自己の肉体の無意識の働きなのであって、冷汗や赤面、鳥肌が立つ、動悸や息切れ、めまいなどといった肉体表面の変化や、あるいはまた、肉体内部の生理や神経の混乱、衝撃、パニック、不具合といったものから知り得るだけで、それがなぜそうなるのか、自分でもわからない未知の世界なのである。


戻る。
                     続く。


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