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もちろん、聞きなれた音の記憶から、それが何かと知ることは出来るが、この場合は、視覚のイメージがそれ以前に入って来ているのである。記憶自体が視覚と結びついているのである。そして、音というのが視覚のイメージに仲介されて知られてくるのである。 従って、視覚や他の感覚を無視して、純粋に聴覚だけで何かを知り得るのは、やはり心理的で情緒的なものに過ぎないのである。そうならざるを得ず、そしてまたこれが聴覚なのである。 それは現実的な対象が定まらない以上、非現実的な情緒と感情の世界に留まるしかないのである。しかし、それがカタチあるものとして視覚のイメージや、あるいは触覚とむすびついたとき、これが現実的な感覚として意識されてくるのである。 そして「カタチ」とは、自己と他者、あるいは内と外の間の境界線のことなのである。そしてこの境界線が不明瞭なのが音の世界なのであって、だからまた、それは情緒的な世界にならざるを得ないのである。 |
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