index< 日誌 < z自意識 < 23-10「自分が最大多数の中の一人であること」p13 |
そしてそれがすべてで、それで十分で、それだけなのである。たとえそれがウソでも悪意であったとしても、上手くそれをごまかしてさえくれれば、そんなことはどうでもよいことだし、自分には関係のないことなのである。 そうして事実上、世の中のすべてのことが、その動きやシステム自体が、表面上の体裁を取り繕うだけのものになっていて、その中身が問われるということがないのである。表面上の形式的なスペックや履歴だけがまかり通るのである。 そして、これが真実で正義であるとされるのである。「結果がすべて」というのは非常に便利な言い訳なのである。しかし、「結果」というのは一時的で過渡的なものに過ぎないのである。すなわち、自分というのは、どこまで行っても一時的で瞬間的なマボロシのような存在に過ぎないのである。 |