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14、自分のカタチ。


そしてまた、それ自体が身体のリズムとそのバランスの「型式」なのである。そして、そうしたことの際限のない繰り返しが、連続した秩序と規則を持つパターンとして、最適化されてきたのである。そしてこれが自己の営みだったのである。

すなわち、これが一般的な通常の営みとして、そして普遍的な秩序や原理として定着してきたのである。そしてこれが、自らの当然の常識や日常として作り出されてきたのである。そして実は、これこそが「自分」だったのである。自分の存在のカタチだったのである。

そしてこれこそが、自分が自分を意識し、認識し、そして理解する、そうした自分自身の現実のすがたなのである。もちろん、そうである。なぜなら、それ以外に自分を知る方法というのが、現実の世界にはないのだから。それは、自分自身の肉体を通して知る以外にないものだからである。自分と現実との接点は、自分自身のこの肉体以外にないからである。

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