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7、共有。


お互いが、自分に対しても、相手に対しても、そのようにしか見えないのである。少なくとも、このようにして交流や交感といったものが成り立っているのである。そもそも、そうしたことのないところに、集団や社会といったものが成立し得ないのである。

また、だからこそ興奮もするし、感動もしてしまうのである。そして、このように興奮するのは、それを通して自分と世界とが、そしてだれもが繋(つな)がっているからである。そうして永遠で限りないものをそこに見ているからである。

自分にも、他人にも、そしてだれにも無いものを、そこに見ているのである。そしてこのだれにもないということが、限りなく貴いのであって、そしてこの貴いという点において、だれもがそれを共有できるのであって、交感しているのである。

また、それが分かるということは、それが自分にとって限りなく大切で大事なことのように思えて来るのである。なぜなら、この点において、自分と世界とが繋がっているからである。そしてこれが、自分が生きている「あかし」のように思えてくるのである。

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