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3、常識の境界。


しかしまた、偏向といっても、時代がそれを求めていて、だれもがそれを望み許容しているのであれば、それは偏向ではなく常識なのである。そしてその境界自体は限りなく曖昧なものなのである。

それは言わば、宗教のようなものであって、例えば帝国主義の時代の国家主義・民族主義がそうだったし、20世紀の社会主義国家の教義がそうだったようにである。――もちろん、今日の中華人民共和国や北朝鮮もそうである。――そしてまた、中世の精神主義の時代もまた、そうである。

それは、それぞれの時代とそれぞれの地域に固有の、その時代に根差した価値観が存在するのである。それはちょうど今日の私たちが、中世や古代を、私たちとは異質な文化と自意識を持つ世界と感じるのと同じである。そしてそう感じること自体が、私たちもまた偏った異質な文化と自意識の世界を生きているという、証拠なのである。

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