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3、観念的現実。


このような失われた記憶の痕跡は、私たちの現実の肉体のいたるところに残っている。私たち人間のカタチを作っている最小単位としての細胞がそうであるし、また、私たちの現実の姿(すがた)がそうなのである。

そのようにしかなれず、そのようにして生きて行くしかないように、あらかじめ定められ、出来ているのである。私たち人間にとっての現実とは、まさにこのことなのである。この現実を離れて生きて行けず、そして、この現実の中においてのみ、人間が人間たり得るのである。

そして精神は、そしてまた、情緒や生理の作用といったものは、このような現実の肉体を離れたところに存在しないのである。そしてこれが時間の流れであり歴史なのである。自分たちの種としての生き方や生存の仕方として空間的現実を超えて生き続けているのである。

そして、このような身体の情緒と生理の記憶なしには、個体としての生存が次の世代に受け継がれることがないのである。遺伝とは、そして種とは物理的空間的現実であると共に、時間的な連続性でもあって、歴史的および観念的な現実でもあるのである。そしてこれを私たちはタマシイと言っているのである。

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