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3、共鳴。


そしてこうしたことが、私たち人間が他人や社会に対して何かを感じたり、あるいは共鳴したり、共感したりすることが出来る原因になっているのである。

つまり、自分は実際に何かを経験しなくても、それを自分の肉体の生理の作用を通して知ることが出来るということである。共鳴し、共感する生理の営みとして、それを自分の中で知ることが出来るということである。少なくとも、そのように感じているし、それを感じることが出来るということである。

私たち人間が、何かを見て触れて感じて交流し、共感しているというのは、このような自分の中の肉体内部の、営みのことを意味しているのである。またそうしたことは、このような身体内部の生理を通してのみ、知り得るものなのである。

たとえば、自分が現実に経験したことがないことでも、それが自分のことのように思えてきて同情してしまう、といったことがそうである。あるいは、美しいものを見て感動したり、欲しくなったりするのもそうである。

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