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3、自意識。


何かを考えたり行動する前の、その「引き金」になっている、そうした無意識の反射作用とでもいったもので、それは自分の意思や思考とは別のものなのである。

しかし、このような情緒といったもの。肉体の反射作用や本能、直感、習性といったもの。そしてその自覚もそうであるし、このような出来事に遭遇する場面といったものは、それはすなわち、自分自身の日常といったものが、どこかで切断されて破壊されたときである。

自分が日常の外の世界に放り出されているのである。それは否応(いやおう)なく自分というのを省みている。自分の現実というのがどこかで途切れて、めくれて、はがされて、否応なしに全く仕方なく、再び本来の自分に戻ろうとしているのである。自分が自分であり続けようとしているのである。自分は自分でなければならないのである。

つまり、ためらい、戸惑い、驚いている状態である。自分は誰なのかと。そうして自分にとっての自意識といったものが自覚される。嫌(いや)でも自分というのが見えてくるし、見えてしまうのである。見えなければならないのである。

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