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12、説明を求める自意識。


だからそれを外から見ると、どうしても主観的で偏見に満ちた空想にしか見えないのである。それは例えば中世日本を支配した儒教思想がそうであった。19世紀に外の西洋世界と遭遇することによって始めて、自らを外から客観的に見ることが出来るようになったのである。

そして外から見えてくる「自分たち」とは、閉じた囲いの中の世界であって、その限りでそれは、やはり空想でしかなく、空想にしかなり得ないものだったのである。

しかしまた、たとえそれが空想であるとしても、空想でしかなく、空想だけだとしても、それは人間にとってどうしても必要なことだったのである。人間は生きている以上、そうした自分に対する理由がどうしても必要なのであって、自分自身に対するこの自意識といったものが、どうしても説明されなければならないのである。


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