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しかしこれは錯覚であり、誤解と誤認なのであるが、要は、そのように見えてしまうということなのである。だからそれは暗示なのであって、何かどこかへと導く目印し、サイン(合図)のように思えてくるのである。 少なくとも自分の中では、そうであり続けていて、そうでなければならないもの、そうであるはずのものなのである。なぜなら、それは現実の世界にないものである以上、非現実の観念の世界に求めるしかないものだからである。 しかしまた、そのような意識自体が、自分が生きている現実に対する自分の接し方、かかわり方、存在の仕方なのである。そしてその限りで、それは紛(まぎ)れもない事実なのであって、少なくとも自分の中では、それは「現実」なのである。 |
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