index< 日誌 au錯覚23-78「暗示の世界」p6

1、見えるカタチ。


私たちが日常用語で用いている「カタチ」とは、抽象化された思考の世界でのカタチである。しかしそれは映像の世界でも、多かれ少なかれ言えることでもある。

むしろ、それがどこか抽象化されているからこそ、それがカタチとして意識されているのである。サイズやか角度、長さ、模様などといった概念自体が抽象化された思考の産物なのである。

だからまた、多かれ少なかれ思い込みの主観が入ってくるし、入って来ざるを得ないのである。人間が見る、見えるものというのは、そういうことなのである。自分の都合と必要や、欲し求めるものを見ているし、それしか見ようとしないし、またそれしか見えないように出来ているのである。


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