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2、カタチという概念。


何かが目に見える。しかしこの「何か」ということ自体が、すでに主観的なのである。そしてこの主観自体がまた、人間同士の間で形式化され、共通化されていて、比較分類が可能なものになっている。

そうして自分の観念の世界の中に取り込んでいるのである。またそうやって始めて、「何か」というのがカタチとなって見えてくるのである。私たちが見て感じて知ることのできるカタチとは、このことなのである。

そうでないことには、人間同士の間で、それを「カタチ」とは言わないのである。人間同士の間で知ることのできないものを、人間の頭の中で、それをカタチとして意識することなど不可能なのである。


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