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印象や経験やその記憶といったものを、共通化・差異化し、抽象化された秩序に従って整理し、順序立てて、全体として系列化してゆくのである。また、そうしてこそ、それらが何らかのカタチとして見えてくるし、それが何かというのが見えてくるのである。つまり、観念の世界でカテゴリー化しているのである。 しかしまた、このような見え方というのは、「見る」という直接の感覚のとは別の、感覚の感じ方や思考の働きにも関わることでもあって、感覚が感じる直接の刺激とは別のものなのである。 そうした意味でもそれは、やはり主観的であり、観念的でもあり、、たとえ無意識にではあっても思考が働いているのである。しかしまた、そうして始めて、「何か」というのが見えてもくるし、わかってもくるし、理解することもできるのである。意識するとは、このことなのである。 |
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