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こうした自分の中での、たとえそれが意識したり自覚したりすることが不可能な生理の作用であっても、あるいは無意識の何気ない、得体の知れない閃(ひらめ)きや衝動であったとしても、あるいはまた、半ば無意識のどうしても思い出すことのできない記憶の断片、カケラ、痕跡に過ぎないものであったとしても、やはりそうなのである。 そうしたことが自分の中で無意識の記憶につながっていて、またそれが、無意識の内に自分を支配し、突き動かしているのである。そしてまた、これが意識や情緒の源泉になっていて、その土台を成しているのである。そして、自分自身の中にあるこうした世界を、私たちは個性と言い、自分自身の情緒の世界と言っているのである。 自分自身の中にある、このような関連付けとその繋(つな)がり、またその時間的な変化の傾向と方向を、私たちは「自分」と言っているのであって、そしてこれを意識し自覚したとき、これを自意識と言っているのである。 |
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