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このようにして見た場合、人間の顔とその表情といったものは、とりとめがなく、捉(とら)えどころも定かでないように見えながらも、それを全体として見た場合、良い意味でも悪い意味でも理解できるように思えてくる。 それらが全体として、どこかでバランスされていて、秩序ある全体として見えてくるのである。たとえそれが支離滅裂の理解しがたいものであってもそうなのである。「理解しがたい」という意味で理解しているのである。 そしてその印象を記憶に残している。おぼえているし、気づいてもいるし、知ることも出来るし、また、理解もできるように思えてくるのである。たとえ偏見に基づく主観に過ぎないとしても、そうなのである。 |
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2019-0101-0104