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そうである以上、このような人間の顔の表情といったものは、このような自己の肉体内部の営みを反映したものにならざるを得ないのである。そしてこれが、現実の人間の顔の表情であり、その身振り素振りの仕草に現れているのである。 そして、そうしたことを相手の顔の表情に見て感じている。そしてまた、それを見ている自分自身に対いても同じことを感じている。そして、それを自分の中にも感じるということが、相手に対しても、それと同じことを感じることの根拠になっているのである。 相手の心理が理解できるということである。自分の中の肉体の営みを通して、相手の心情といったものが知られてくる、ということである。 しかし、これもまた、自分自身の偏見と主観に基づくものであって、そしてまた、偏見であるがゆえに、ないものが見えてきたり、知らないことが知られて来たりするのである。だれにも気づかないことが、自分だけには気づいてしまう、そうしたことが起こるのである。 |
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2019-0101-0104