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それは、個人的な思い込みや主観に過ぎないがゆえに、それ自体がオリジナルな個性であり、可能性なのである。それはバラバラな偶然の成り行きといったもので、しかしまた、そうであるがゆえに外から見ると客観的なのであり、主観が入る余地がないのである。 しかしなぜ、個人の偏見が客観的だと言えるのか? それは、それがバラバラな偶然によって成り立っているからである。そしてこの偶然であるというのが、客観性なのである。なんら規制されることも、条件づけられることがないという意味で、そうなのである。 |
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2019-0101-0104