index< 日誌 au錯覚23-86偏向3 「バランスという必然性」p7

2、恣意的。


もちろん、規制されているはずなのであるが、それが自分だけの閉じた世界からでは見えず、気づくこともないのである。そうした意味で、規制されることもなく、条件もないということなのである。少なくとも本人には、そのようにしか見えないということなのである。

そしてまた、これを外から見たときに、これが客観性なのである。外から見ることによって、規制も条件も見えてくるのである。だから、これが客観的なのである。自分は当事者ではないという意味でそうなのである。

閉じた「自分たち」の世界の中にいる限り、それは客観的だとは言えず、空想的にもなれず、だからまた、自分勝手な思い込みと気まぐれ、思いのままの成り行きの偶然だけが支配する世界なのである。

戻る。                続く。

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2019-0101-0104