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しかしまた、これを長い時間的な期間で見ると、すなわち、数万数億年という歴史的期間で見ると、それが条件付けられて見えてくる。そして、これが客観性なのである。すなわち、空間的にも時間的にも現実を外から見ているのである。 現実を生きているにも関わらず、現実の外から自分を見ている。このような、現実を外から見ている自分とは、自分が自分の中で分裂している。自分が現実の世界から遊離して、頭の中で抽象化されている。 そして抽象化されることによって、それを成り立たせている条件や秩序が見えてくる。そこから、それがまた、必然的なものであると理解もされてくる。そしてこれが客観性なのである。精神は肉体から分離して、それだけで一人歩きを始めていて、そうして現実とは切断されたところから、現実を見ている。 |
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2019-0101-0104