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それは、このような瞬間的な、意志表示のカタチなのである。自己了解とは、自意識の自覚であり、それはまた、自分自身のみならず、まわりの他人に対する意志の表明でもあり、他人に向けて、それを認めてもらおうとする場合も含まれている。 他人もそれを認めてこそ、そうした自分の表情や動作といったものが、自己了解と、自分で自分を意識する場面になり得るのである。それは息抜きをしているのであるが、何かが終わって区切りがついたのだという、自分自身に対する納得と確認でもある。 そうした安堵と安心の自己認識の印(しるし)であり、カタチなのである。そして、それはまた同時に、自分と他人に向かってのコミュニケーションの表現なのである。 それを本人が認めようと認めないとに関わらず、これが自分たちにとってのコミュニケーションとして作用しているのである。本人の意志とは関わりなく、まわりの世間がそのようなものとして見ているのである。 |
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2019-0113-0120