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5、歴史。


しかし、これもまた、非常に永い歴史的な期間で見ると、やはり客観的なのである。なぜか? それが続いて継続しているということ自体が、現在の自分にとっての現実なのであって、そして、これが自分の存在そのものだからである。

現在、自分が生きている。そしてまた自分が、見て聞いて触れるものといったものが、大昔からの歴史的な継続の結果だからである。もしも、そうでなかったなら、それはすでにこの現実から消えて無くなっているからである。

これは現実の物的世界のみならず、自分自身の感覚の感じ方がそうなのである。自分の感覚そのものが、すでに自分をも含めた、祖先からの歴史の結果によって与えられたものなのである。

だから、これが歴史の結果としての現実なのであり、そしてまた、これが自分たちの存在の理由になっているのである。

戻る。                続く。

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2019-0101-0104