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だからまた、それに自分というのが拘束され、制限され、規制されると共に、これこそが正しく自分なのであると思い込んでしまうのである。むしろ、そう思い込む以外にないのである。そして、この思い込みと確信が自分を拘束し、自分を支配し、自分を動かしている。これが自分自身なのであると。 これ以外に、自分を確かめ証明するものが現実の世界にはなく、これこそが、これだけが自分が信じるもの、自分の拠りどころ、そしてまた、現実世界での自分の居場所になっているのである。 他の生き方があるのだということを知らず、知ろうともせず、知ることもできず、知ってもならず、そうして、それ以外の自分というのがあり得ないのである。そうした意味で人間は支配され、拘束され、そしてまた、他者から絶対的に強制された存在なのである。 |
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2019-0121-0126