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そしてこの、感情のパターンの型式とでも言ったものが、身体の表情であり、仕草や立ち居振る舞いの動作といったものなのである。そうした、自分自身の身体の変化と動きでもって、私たちは、自分の感情といったものを知り、あるいは納得し、了解しているのである。 なぜなら、このような表情といったものは、社会的に知られている共通のコミュニケーションの形式となっているからである。反対に言うと、人間は、これ以外の自意識といったものを持ち得ない、ということである。 そうした意味で、人間の自意識は、あらかじめ制約され方向づけられている。また、規格化され、共通化され、共有化されてもいる。そしてまた、そうしてのみ、表情が表情としての意味を持ち得るのである。 |
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2019-0121-0126