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自分が知っているもの、わかっているもの、理解しているものであるならば、新たにコトバなど不要なのである。それを外に出す必要などないのである。 始め、コトバが表現しようとしたものは、すがたカタチなどではない。それは何よりも自分自身の感じ方を表現したのである。そしてそれを自分以外の者に知ってもらう「必要」があったのである。この必要がコトバとなって現れたのである。 始め知らなかったこと、わからなかったこと、そうした以前には無かった何かを自分の中に見い出したのである。そしてこれをコトバを通して外に表現する必要があったのである。自分が、それに耐えられなくなっているのである。つまり、これは自分の中で、それを相手に伝える必要が生まれたのである。 |
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2019-0126-0207