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同一の動作の中に、意志によって左右される(随意)筋肉と、左右されない(不随意)筋肉があって、また、現在ほとんど使われておらず、忘れられ失われかけている筋肉もあって、それらが共存し、連鎖し、連動して作用している。だからまた、本来の目的とは無関係の動きといったものが随伴してくる。 しかしまた、この無関係な動き、生理と神経そして身体の動きや、その身体表面に表れた生理の作用の痕跡としての表情といったもの。そうしたことが、それだけでサインやイメージ、あるいは暗示や思い込みとなって、自分自身の情緒や感情と勘違いされ、そしてそれがまた、自分自身の心情や生き方と関連付けられる。 それは、そうした本来の作用とは直接の関係を持たないがゆえに、それが何かのサインや目印しのように思えてくるのである。そしてこれがまた、自分の気性や性格のように思えてくるのである。 |
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2019-0207-0214