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これは錯覚と誤解なのであるが、しかし、現実と自分を関連付けるものとしては、これしかなく、そしてこれが自分にとっての印象や目印し、象徴となって無意識の世界で蓄積されて来たのである。 従って、表情と仕草といったものは、そうした意味でも不可解で無意味な世界であって、しかしまた、だからこそ、それが自分にとってもっとも分かりやすく自然な、自分自身の存在のカタチのように思えてくるのである。 なぜそうなるのか理由はわからない。知る由(よし)もない。なぜならそれは、過去の無数の祖先からもたらされた、遺伝による情緒の痕跡であり、その名残りだからである。 |
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2019-0207-0214