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それがいったい何のことなのか自分でも知りようがなく、わからないのである。ただそれが自分であり、自分自身の感情であり、「しるし」であり、証しになっているのである。 それは自分で確かめることの出来るものであり、そしてそれが自分にとっての、自分の現実のすがたとして認めるしかないものなのである。それ以外のところに自分というのが存在しないし、存在し得ないからである。そうして自分がはたして「だれ?」というのを教えてくれるのである。 |
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2019-0207-0214