index< 日誌 <af必然 < 23b-50「偶然の錯覚」p3 |
自分たちの日常の中で、すでにそうした条件と設定が出来上がっているということである。あるいは意図的にそうしたシステムを作り上げたのである。そうだとすると、これはもはや必然なのであって、それ自体が完結したシステムなのである。 そうだとすると、これは錯覚ではなくて事実なのである。あるいは、真実自体がもともと錯覚だったのである。 錯覚が日常化し、これが自分たちの常識となり、自分たちの信じるもの、なくてはならないものになっているのである。そうして現在の自分たちの存在の条件になっているのである。そうである以上、これが自分たちにとっての事実であり、現実であり、真実なのである。 このようにして、偶然の錯覚というのが、人間の暮らしと観念の世界を支配して行く。そしてこれが、私たち人間にとっての現実であり、思考と行動のパターンを支配している規範となっているのである。 |
index< 日誌 <af必然 < 23b-50「偶然の錯覚」p3
2019-0207-0214