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しかしまた、そもそも感覚自体が錯覚なのであって、それが歴史の中で果てしなく繰り返されながら、現在も至るも残っているということ自体が、錯覚ではなく事実なのである。そうして、このような感覚の感じ方自体が誤りでなかったことを証明しているのである。 そしてこの錯覚が現在に至るも、そのまま信じられているということ自体が、それが錯覚ではなく事実であることを証明しているのである。あるいは、これが「事実」というものなのである。 しかし、実はこうしたことは、世の中にたくさんある。かつて19世紀が目指した帝国主義がそうであったし、20世紀中頃のマルクス・レーニン主義もそうだし、あるいはまた、合理と効率を求めた近代の思想もまた、そうだったのである。 その時代には、だれもがそれを信じたのである。それを反対した者もまた、それを信じたからこそ猛然と反対したのである。そして、明けても暮れても大量殺戮を繰り返したのである。 |
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2019-0207-0214