index< 日誌 < af必然< 23b-68「目的の変異」p6 |
たとえば、自分でもあまり気づかないけれども、「顔をしかめる」といった動作と表情がそうである。こうしたことは始め、何らかの身体の生理的な、不可避で必然的な動作であったのが、いつの間にかその当初の意味を喪失していて、ただ不快・苦痛・苦悩を表わす、コミュニケーションの標識としての意味だけが、大きな意味を持つようになっているのである。 当初、何らかの現実的な、実際の不快の生理的反応としてなされていたものが、いつしか、その実際的な意味を喪失していて、ただ観念的な不快の表出、その無意識の意志表示のサインとしてだけの意味を持つようになっているのである。 その意味で、表情というのが象徴化・印象化、そして記号化しているのである。そして、それが持っていた本来の現実的な意味を喪失しているのである。 |